教育の評価はどのような評価がより良いのか。

2008年9月27日
偏差値の意味、順位の意味

9月22日の日本経済新聞教育面のコラム「挑む」で「順位で騒ぐのは無意味」という見出しで書かれていました。副題が「テストの結果は反省材料」です。
コラムの中に「生徒たちはテストを返すと・・・」というのがありましたが、これは得点の比較ですね。それをしているのです。どうして、その方を気にする生徒が多いのでしょうか。
これは親ですかな、テストの結果のうち「得点」のみを気にしているのが多いからでしょうね。テストというのは「出題者の価値観」にどれだけ合致したかを測定するものですね。その「価値観」ができる限り「普遍的」であり、適切な方法の場合に限り、「生徒の学力点検」に利用できるのだと思います。あくまでも「学力点検」です。
日常の学校での定期考査、課題考査、小テストなどはこのような観点から実施されるべきでしょうね。適切な出題であれば、入試にも対応しているのですが理解されていないようです。
模試はその種類、実施時期によりますが、入学試験の模擬として実施しているのですね。入学試験では「順位」をつける必要がありますね。順位を付けて「合否」を判定しているのです。(その前に入学後に必要な学力があるかどうかの判定がほしい)
この模試でもあくまでも「模擬」です。本番とは異なります。実際、大学や高校などのランクでよく使われている数値は60%合格ラインですね。模試の段階でこれより相当低くても合格したり、その逆に高いのに不合格というのがよくあります。実際、最後の一ヶ月ほどの最後の踏ん張りで有名大学の有力学部に合格することもあるのです。結局、本人のやる気と模試などで学力のムラを見つけ出し、それを克服する材料にできるかどうかであって偏差値などで一喜一憂するものではないと思います。
ですから、偏差値はあくまでも「目安」程度であって、模試も定期考査と同じように弱点を見つけたりして、学力の不十分なところを補強するための材料を提供するのが最大の目的ですね。
よく「順位」を勉強の動機づけに使っている場合がありますが、他の生徒の頑張りがぼちぼちのときに自分だけしっかり頑張った場合などは順位の上昇が見られるとはおもうのですが、他の生徒も頑張っていると順位の上昇どころか降下もあり得るので「挫折」に繋がる可能性がありますし、「皆でサボれば怖くない」で全校あげての「低学力」への道を進む恐れすらありますね。高等学校の「内申書重視」は完璧な順位でできた内申書を利用しているので低学力層から諦めが広がっていって、学力低下に繋がったのかもしれませんね。「順位」はだれかがサボってくれるという前提で有効でしょうか。

2002年08月17日
 文部科学省の学力低下対策の一つの案が朝日新聞に出ていました。これはいいことだと思いますが、大学卒業時の学力、高校卒業時の学力、中学校卒業時の学力、小学校卒業時の学力の基準は?。特に大学には厳格に基準を公表させ、それに達しない学生は卒業させないように、あるいは退学勧告をさせるように指導してください。本来、高校なども基準を公表させる必要があると思います。しかし、日本の現状では、まず、大学から始めさせてください。入学は楽でも勉強をしないと卒業できないということにすれば、入試の馬鹿騒ぎが減少すると思います。卒業認定を厳格に。%ではなく、学力で。


例えば、労働基準法に関すものだと思うのですが、長時間労働による過労死や事故が次から次へとでてきますね。一応、法律はありますね。なぜ、この方面の取り締まりは甘いというか、ほとんどされていないのでは。サービス残業が減らない。形だけの管理職。人間の生命を守る気があるのでかね。これは、日本全体について言えるのではと思います。

2002年08月16日
 本日の日本経済新聞によりますと、「働かない若者 年28万人に急増」とありました。小中学校での勤労体験不足が大きな原因だと思います。勤労体験(アルバイト)と禁止しておいて家庭でも家事の手伝いをさせない。そら、パラサイトやりたくなると思います。アルバイトで問題を起こすものもいるとは思いますが、それは家庭や地域の問題ではないでしょうか。アルバイトを禁止している今でも青少年の犯罪は人口が減少しているにもかかわらず増加しています。因果関係の取り違いをしているのでは無いでしょうか。不良なアルバイト先は地域や家庭、警察等でなくすようにすればと思いますが。

2002年8月14日
 企業の採用姿勢に見られる問題点(これも評価と関りがあります。)

 大学教育をなんとも思っていない企業が多いようである。なんで、3年の終わり頃に採用の内定が出来るのか。大学の大学たるところは、卒業研究にあるはずです。そこで、(日本では多くの場合学生にとって初めてです。)学生が自分で調べ、まとめ、論文にしあげます。ろくに指導できない教授もいるみたいです。(だから、日本技術教育評価機構みたいな団体が必要になるのでが。)指導がよければ非常に成長するのです。そこを見ないで採用を決めるということは、単に出身大学をばらつかせているだけではと思います。まあ、技術系は、それ以外ほどひどくはないようです。多くが大学院に進学してからですので。卒業してから採用を決めなさい。公務員も。大学の推薦入試の時期も早すぎます。大学の「9月入学」を推進してください。高校は4月末卒業ぐらいで。中学は3月卒業のままで。

2002年8月4日
相対評価に固執する者は力のない者であると思います。生徒や児童に「何を教え、どのような能力をつけてほしいか」ということを考えていないから相対評価でないと成績がつけられないのだと思います。いかがですか。
定期考査で順位を出す。何を考えているのでしょうか。定期考査とは本来ある期間に学習したことが、どれだけ身についたかを確認するための考査です。そして、受験後、その結果を教師、生徒ともに点検し、生徒は復習や勉強の方法等について考えるための考査であり、教師はその期間に指導したことがどのように有効であったか、または効果が見られなかったを知るための考査であるはずです。順位を出すための得点のみに関心が行き、あとの点検をしない。考えないということが起こっています。短期間で採点し、順位で生徒の学力を見ようとするため、採点の楽な出題になる傾向があります。各学期の成績を順位でつけるとなると採点があいまいになりやすい論述式が減らされたり、教科書や問題集の答の通りのみを正解とする弊害が起こってきます。それで、文部科学省は「小中学校でも絶対評価」というように指導しているにもかかわらず、相対評価を絶対視しているばかな教師(統計学も当然まるっきり分かっていない)がまだ結構います。皆さん、一緒に相対評価を止め、絶対評価に考え方を改めさせましょう。絶対評価をするほうが教師にはしんどいことです。
 相対評価に意味を持たせるためには、本当の意味での統計学的処理が必要になるはずです。大学で統計をまともに勉強した教員がどれほどいるのでしょうか。いま、行われている方法では、母集団の差異や分布の変動、誤差などいろいろな要因で正確な学力を現しているとは言えません。単にその集団の中での順位を現しているに過ぎないのです。順位はどの程度の学力かあらわしていないと思います。
 もともと、高校は絶対評価を基本にしているはずです。以前は、小中学校では「文部科学省や教育委員会よりの指導で相対評価」でしたが、そうでない高校において相対評価を信仰している人たちがまだいます。どうなっているのでしょうか。そのような学校を放置している教育委員会は何をしているのでしょう。