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2004年1月31日
昨日の「青色ダイオードの発明対価」の裁判から思うこと
日本の企業は終身雇用の家族的とかいっていましたね。従業員思いの企業もあるのですが、相当数、そうでないのが混じっていますね。
発明については、日本では長らく企業特許として企業の権利とみなされ来た風がありますね。以前は企業の規模拡大による昇進などでまあ、問題にならなかったようですが、最近は様子が違ってきているようですね。
従業員の権利を無視するような企業が結構あるからこのような裁判が起こるのだと思います。
団体生命保険の問題(従業員には知らせず加入していた)では、従業員が死んでも企業は痛手を受けませんね。だから、酷使をしても何とも思っていない企業が相当あったようです。これも、発明対価を無視するのと根は同じだと思います。
サービス残業をさせて何とも思わないのもです。なにが家族的なのですか。まあまあで誤魔化せるからですか。行政は、もっと弱い立場の味方になるべきですよ。
そうでないと、雇用者による従業員イジメはなくならないのでは。従業員が増長し過ぎるのも問題があるのですが、現状ではこれはアメリカの話のようですね。
経営者、従業員、株主、消費者のほどよい関係とはどのようのものなのでしょう。どれかが突出すると他がその被害を受けることになると思います。

2004年1月30日
本日の日経の一面連載「新会社論 第2部 開放力で勝つ5」を読んで
見出しは「知恵の共有 革新生む」と「情報経路しなやかに」とがありました。
まず、イーライリリー社の話がありました。インターネットで全世界の研究者に事前登録してもらい自社の研究などの課題を解いてもらうというシステムです。これは「知恵の共有」にあたるかな。
日本でもおこりいつつあるようです。日産自動車は、部署の壁を取り払ったフロアをつくり、部品の原価の低減をスムーズに進めているとのことです。こちらは「情報経路しなやかに」と「知恵の共有」の相乗作用かな。
ところが、行政などでは、相変わらず縦割りがそのままですね。情報の巡りも悪いしね。
昨日も書いた司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」のなかに、帝国陸軍などの軍人に「リアリズム」(司馬氏はこのように言っています。)がなかったと。現在の政治家や官僚などにもこれがかけている人が多数いるように感じます。
教育現場もかな。現実に起こっていることと頭で思考していることにずれが生じているのですね。この大きな原因の一つに教育での評価の仕組みも関ってきていると思います。テストの方法の問題も大きいですね。択一式は止めてほしいですね。
知恵や情報を利用できないのですね。何とかしなくてはいけないですね。

2004年1月29日
久しぶりに司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読んでみて
新聞ネタではありません。この「昭和への道」は、日本がどうしてあの破滅的な戦争に突き進んでいったのかについて、司馬遼太郎氏が語られているわけです。
そこに見られるのは、「情報」を使えなかったというか理解できなかった日本の状況が語られているように思えました。
ノモンハン事件ですが、ソ連軍との兵器の格差を見せつけられおきながら改善することなくアメリカなどとの全面戦争に突入していくわけですね。
日露戦争でも、戦争を自己解剖することなく美化されていますね。今の官僚の姿勢と相通ずるものがあるように感じられます。
その他にもいろいろあるのですが、教育においても問題点が指摘されています。
今一度、日本の歴史に対する考え方を見なおしてみてはと思います。
詳しくは司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読んでみてください。NHKからはビデオセットが売り出されているはずです。
私は、「雑談 昭和への道」を知る以前に日露戦争の通説に疑いを持ちはじめたところからこの時代の歴史を私なりに調べるようになりました。

2004年1月28日
本日の日経の社説『理数能力の「惨状」と教育行政の責任』を読んで
内容的には何日か前(23日や24日)にも書いていますが、結局は行政の責任が大きいですね。過去(今もかな)に受験地獄とか言われましたが、入学すれば遊んでいても卒業できる状態の大学が多数あったのがその大きな原因では。
そして、それらを見なおすことなく、かつ十分に検討もすることなく思いこみで科目減などをしましたね。そして、子どもの勉強に対する意識変化にも気がつかずにね。
さらに共通一次、センター試験に代表される択一式テストが蔓延り考える力を蝕んできたのでは。その世代が教師や親の主力を占めるようになってきました。
そうすると、勉強とは「覚えること(丸暗記)」と思っている割合がさらに増加しているわけですね。
行政はこのような変化に対して国民の学力維持のため制度を考える必要があったのに単に「負担軽減」のみにとらわれていたり、国民の変な平等主義によって勉強の意味がさらに形骸化されてきたのでは思います。
今だに相対評価ですね。そして、択一式、基準なし。
ですから、すべての分野に日本技術者教育認定機構(JABEE : Japan Accreditation Board for Engineering Education / 設立 1999年11月19日)のような組織をつくり、まずは大学卒業のレベル確保からしてほしいですね。

2004年1月27日
本日の日経、社会面の「個人差解消コース別に」を読んで
見出しに「小人数指導で大阪の小学校」とあります。
そこの教諭が実践例を報告され、記事になったものです。
小学校の教科内容にも児童がつまずきやすい教材があるわけですね。そのところを、理解度に応じて小人数で指導したらつまずいた児童の理解度が向上しそして全体の平均点も向上したとあります。
人数が多いより少ない方がいいですね。でも、進級していくうちに能力の伸び方の違いが出てきますね。これは致し方ないと思います。そうすると、常に同一学年の中でという考え方では対応できなくなると思います。
目標を提示し、学年に関係なく適切に指導すると年数にバラツキはでますが高校卒業レベルまでは大抵の生徒は理解できると思っています。
先日の文部科学省の学力検査みたいな悲惨なことにはならないのではないかと思います。
人間、生まれてきたときから全員遺伝子の組み合わせが違う個性ある存在ですね。一卵性双生児でも違いが出てきますね。それがどうして通学年数だけ同じにしなくてはならないのかな。留年や飛び級があってもいいではないですか。
それより、個々人の能力を発揮できるようにしてやる方がいいのでは。生まれていたときから個性的なのですから人間関係を上手に出来るようにしてやって、画一的な規制を押しつけなければ個性は潰れないかな。
履歴書から、学歴欄と職歴欄をなくしましょうや。まず、学歴欄廃止をお願いします。それが出来たら、次が職歴欄、または年齢、住所、性別などもね。

2004年1月26日
日経、本日の文化面、島隆氏の「新幹線、親子3代の夢」を読んで
この中で、特に読んだところは「後ろ姿見て同じ道へ」です。結局は、親の生活態度が子どもの教育を含めた躾になっているのですね。例外もありますがこの手のはなしよく聞きますね。
良い方にしろ、悪い方にしろ、子供の見本は親ですからね。ですから、児童虐待をしてしまった親の多くが本人も子供のとき虐待されていたともいいますからね。
また、婆さんがその子を習い事によく通わせていたら、その子が親になるとまた同じように習い事に通わせたりとか。よく見ていると、親子けんかみたいなをしていても行動はよくにていますね。
喫煙でも、家族全員が吸わない家庭では子供の喫煙はまずありませんが、親が吸っていると子供の喫煙率は高くなりますね。その上、学校で煙草の害を教えている教師が吸っていたら目も当てられませんね。
島氏の場合は、午後8時には父親は欧米の書物を原書で読むなどで机に向かっていたそうです。本人もそれを見て勉強したとあります。
勉強は本来面白く楽しいものなのですが、指導の仕方や大人たちの価値観がおかしいと辛く面白くないものになっていくのではと思います。
日本での学力低下の原因の大きな部分は文部科学省の姿勢にもあるのですが、一般の大人の学力に対する認識にも問題があると思います。
例えば、飛び級や留年に対する感情ですね。1年や2年ぐらい遅れようが速くなろうが子どもの学力やその他の能力が伸びればいいものをどちらも白い目で見るというようなものです。

2004年1月25日
日経ビジネス1月26日号の時流超流の「教師にも実力主義賃金」を読んで
教師の世界も実力主義はあっても良いとは思うのですが、今の日本の価値観で導入というのはどうもと思います。
今の受験競争ですね。異常だと思います。まだまだ、入学歴ですもの。進学した生徒が入学後、どのように伸び、卒業後の活躍を追っていないですからね。
それなのに、特定大学への合格数のみで判断している。合格率なら少しはマシかな。昨年の東大への合格率では東京の開成、麻布、兵庫の灘、同程度ですね。
どの程度の生徒をどれだけ伸ばし、卒業後も自力で出来る能力をつけさせるというのが大事なのでは。予備校の人気講師の中には「How to」型の混じってますね。
高校の運動部指導は、卒業後も活躍できる基礎指導ですね。全国大会があるため「勝つ」ことにのみ集中しているところもありますね。これは、指導者の評価が「勝つ」のあって「卒業後の伸び}にはないからかな。
話はちょっとそれるかもしれませんが「文武両道」「知行一致」はどちらも意味合いは同じそうです。学習したこと、覚えたこと、理解したことを実際の行動(筋肉の活動)にして他の人にも判るようにすることだそうです。
実力主義ですが、何をもって良しとするのか言うことが今の日本では不明確すぎます。教えた子のレベルから鑑み卒業後等にどのように伸びたかということも基準に入れてほしいですね。

2004年1月24日
昨日の続き、文部科学省の高3学力調査について
調査ですが、無作為に約10万5千人を抽出したとありますが、多くの高校が習熟度別や進路別クラス編成を行なっていると思います。そして、それぞれの高校の全員に対してなら無作為の効果はあると思うのですがそうではないようですね。
すると、実施高校の段階で作為が入ることがあるのでは。やはり「点数」が悪いと「カッコ」が悪いですからね。そのようなことが行われたとすると、この結果よりもっと悲惨なわけですね。
約40年前でしたか、かつての文部省が行なっていた学力検査で大規模な作為が行われていたいう話を聞いたことがあります。成績不振者はあらかじめ休ませるとか、カンニングさせるとか、です。
今回は、調査学校の全員を調査したのでしょうか。数クラスのみですと、「カッコ悪い」ことにならないうように、俗に言う学力優秀クラスで調査を受けさせた高校が多いのでは。
もし、調査対象を大学進学希望者だけにしているのなら状況はより悪いですね。
進学希望で「学校以外の勉強時間ゼロ」が約40%もいるのはどうことですか。このような生徒は大抵学校でもまじめに授業は受けてませんよ。
単なる「競争試験」のみで進学のための「最低基準」を設けていないからかな。大学が「遊んでも卒業できる」と思われているからかな。
すべての校種において、進級、卒業に最低基準を設けましょう。少しは改善されますよ。定着するまでは、例えば「大学進学のためにはセンター試験50%以上の得点」とか、外部の認定機関を利用するほかないかも。

2004年1月23日
本日のニュースより(文部科学省の高校生の学力と学習についての調査)
詳しい内容は別のところに譲ります。こうこう3年生の学力についてでした。学力低下云々も入っていました。
そして約4割の生徒が学校以外では学習をしないというのもあったと思います。
これらの原因はいろいろなものが考えられると思います。その中の一つが単位認定の問題だと思います。
各科目、どのようなことが出来るようになったら与えるとかがないのですね。兎に角、出席して(居ればよい)考査(問題の質は問われない)でぼちぼちの点数を取れば認定されるのが普通では。
相対評価で認定をしているところでは、「皆でサボれば恐くない」です。向上心とか知的好奇心は高校に進学するまでに失われいる生徒の割合の大きい高校ほど酷い状態になると思います。
万全な解決策などないと思います。すこしでも良い方向にするためには認定基準を明確にて到達したかどうかで認定することでいくらかは解消されるのでは。
だから、以前から述べているように大学進学のためには、センター試験みたいなので一定水準以上の得点をとることをすべての大学受験の条件にするというのはいかがなものでしょうか。そして、センター試験の得点はこの基準に達したかどうかのみに使用を限定すべきです。得点差を合否判定への利用を禁止してほしいですね。

2004年1月22日
本日の日経、一面の連載「働くということ 第6部 2つの価値観B」を読んで
見出しに「現場との距離 手探り」というのと「汗とバーチャル」とがありました。
「バーチャル社会の住人たちは、同僚との連帯感や、汗を流した末の達成感への飢えとも闘う」という本文がありました。全ての住人ではないと思いますが相当な割合にのぼるのでしょう。
人間は、結構「ものつくり」をすることによる達成感やその時の連帯感で満足を得ている部分が大きいと思います。バーチャルでは満たされない訳ですね。
そこで話の日本の国全体を見たとき、バーチャル社会による儲けで国民が養えるかということです。欧米各国で第三次産業の割合が増加しているいてもどこの国も農業と工業へのこだわりはすごいですね。それも国内産業を保護するというより国民の食料確保(自給率をみれば日本は悪すぎる)や職場の確保です。
工場誘致の積極策など見習ってほしいですね。あのスイスでも観光や金融による部分があっても工業の競争力もすごいですね。
「ものつくり」へのこだわり。最近の日本は、「ものつくり」が弱くなりつつあるのではとも思います。教育の問題もあるのかなとも思います。「もの(実験)」を扱わない自然科学教育なんて意味がないのでは。現物に触れて感じることも多いと思います。小学校のあるところあたりから理数系の教育がおかしくなっていたりして。それにつられて他の教科もかな。その原因は何なのでしょう。
どうして、小学校教員養成過程の入試に理科や数学がなかったりするのでしょうか。理科が好きでない教師が教えるとどうしても{覚える」だけになりやすくなるとおもいます。これは他の教科でも同じだと思います。
製造業などが国内で生産していてこそ、1億3000万人が生きていけるのだと思います。第三次産業だけではこれだけの人口を養えないと思います。

2004年1月21日
センター試験について
自己採点も終わり、各予備校などがそのデータを集めて解析し出てきた予想をHPなどに載せはじめましたね。
共通一次以前と比べて業者に新たな仕事を提供してますね。業者は、受験生には無料でしているのでどこかでこの経費を回収しているわけですね。
19日に自己採点、即日回収、今日の深夜にはHP上に判定できるサイトを開くそうです。平均点や大学別のボーダーラインなどはすでにでています。
この余計な作業は、センター試験の得点を合否判定に使用するから起こるわけですね。京都大学の理学希望者は自己採点だけで判定終わりです。なぜか。京都大学理学が利用するのは基準点以上あるかどうかにだけです。
京都大学の他の学部や他の大学もこれを見習って欲しいと思います。択一式や穴埋め、簡単な記述程度の問題の試験は、資格試験的に使ってほしいです。
できれば、今のセンター試験のレベルなら大学進学希望者はどの科目の50%以上の得点はほしいですね。

2004年1月20日
本日の日経、一面の連載「働くということ 第6部 2つの価値観@」を読んで
見出しに「見いだせるか使命感」と「世のためと私のため」がありました。
読んでいくとその中に、自動車メーカーを顧客にもつあるメーカーの話がありました。メーカーが続々とアジアに進出しているので取り引き維持にためにこの会社も現地展開を急いでいたら、取引先から「拠点と奇術を提供してくれれば十分。コストの高いおたくの社員まではついてこなくていい」とすげない。
ということは、国内工場の閉鎖だけでなく、人間もいらないと言うことですね。国内の失業者が増加しますね。税収はどうなりますか。年金の掛け金はどうなりますか。親が失業するということは子供の勤労教育に対する影響はどのようになるでしょうか。
どれもプラスには絶対ならないと思います。今のリストラの様子を子どもが見た場合、勤労意識を無くすほうにはたらくののでは。ですから、工場を海外に出さなくてもよい環境を政府は考えるべきです。税収より雇用です。
関西国際空港の話もでていました。旧運輸省から出向して開業に立ち会った技官の人の思ったこと。「自分のした仕事は何だったのだろうか」というものだそうです。この人にこのように思わせたのは、大阪空港を存続させたことが最大の原因だと思います。その結果、関西国際空港が沈没しかけていますね。世界各国が国際空港のハブ化に血道を上げているとき、関西国際空港に国内線も集めればハブ化が出来た可能性が大きいと思います。その方が現状より関西に対する経済効果は大きかったのでは。
これら2つの例は、政府というかその他も含めて近視眼的発想で考えていることに起因していると思います。

2004年1月19日
本日の日経、社説「財政再建、何ともはるかな道」を読んで
今週閣議決定する「構造改革と経済財政の中期展望ー2003年度改定」の参考資料があるそうです。
そこには、構造改革が成果をあげ、今後の経済成長率が徐々に高まり、2013年度には3.7%にもなると予想しています。
これ、甘すぎませんかね。毎度のことですね。過去、10年間が悪すぎたのは確かかもしれませんが、政策が悪かったからでしょ。その政策が変わっていないですね。
工場の海外流出を止める手だてを考えている様子もなく、今造れば借金の塊になる高速道路や新幹線をつくっている。
いま、するべきことは、無いほうがよい規制を撤廃すること。子育てにもっと大胆に公費を投入すること。工場の海外流出を防ぐ手だてをまじめに考えること。失業者が増えれば、景気回復なんてありません。
今は、全世界的な競争の時代です。教育でも世界水準を保つ必要が特に大学教育であります。今の日本は過去の遺産の食いつぶしの状態のような気がします。

2004年1月18日
Sanday Nikkeiの中外時評「備えも覚悟も薄い地震国」を読んで
日本での地震対策ですが、新しい耐震基準を満たさない住宅がまだ千数百万戸あるといわれているそうです。そして、昨年の十勝沖地震では、津波被害にタンク火災のおまけまであって備えの意識がどうなっているのかということです。
それが、北海道に限った話ではなく、全国どこでも同じようなものではというのです。
そして地震予知ですが、防災訓練が「地震予知」に関る「判定会議」が開かれてますね。それで「予知」が出来ると思いこんでいる閣僚や国民が多数いるということなのです。
この「思いこみ」は、いまさら始まったものでは無いですね。その昔、「神風」が吹くとかいって戦争に突っ走った輩がいましたね。国民性と教育の問題ですよ。
センター試験の問題は、前にも書きましたようのこのタイプの問題の中では非常に良質です。でも、択一式ということでその価値を大幅に下げています。択一式の問題が主力になるにつれて思いこみも激しくなってきているのでは。自分で考えて書きませんからね。だけかの意見の受け売りになりますから。
戦争に突っ走った頃のほうが「記述」が多かったのではと思います。それでも突っ走った国ですからね。これからどうなることやら。企業等の新卒採用に日程には卒論の学習効果というものの考慮がありませんしね。
単純な思考パターンの考えの者が増加しているように思えます。
車のシートベルトの意義もわかっていない者が多いですね。地震防災もシートベルトも基礎的な考え方は同じではないでしょうか。身を守る為にはどのようにすれば良いのか。煙草をすっていてシートベルトをしない人は防災意識ゼロかな。
日経の私の履歴書にアメリカのブッシュ大統領をこの6月ぐらいまでに登場させてほしいですね。私の覚えている範囲では、外国の現役の元首で登場されてそのまま任期を全うされた方はいません。二人の方ともそれぞれの国内の事情によって途中で退陣です。

2004年1月17日
デジタルデータの保存の問題
本日の日経の土曜日につく「NIKKEIプラス1」にCD−Rディスクの不都合について先週に続いてでていました。
デジタルデータですが、どの程度、保存が出来るのでしょうは。
つい2〜3年前に音楽CDの保存期間の問題が話題になりましたね。たしか、20〜30年ぐらいだったはずです。
工場で作られるCDはデータ層が金属でできていて劣化に強いといわれていて20〜30年ぐらいですね。CD−Rは色素にレーザー光線を照射して記録します。だから、強い光が当たるとどうなるのでしょう。また、劣化も音楽CDより速いそうです。
PCのデータ保存で半永久的というのは無いと思います。それに古いソフトで作成したデータは新しいソフトで書き換えをしていないとそのうち読めなくなるはずです。
テキストファイルなら大丈夫かも。
デジタルデータは本やフイルムなどと違って目で眺めただけではどのようなデータであるかわかりませんね。図書館で長期保存はマイクロフイルムなどを利用しているはずです。一番いいのは「現物」ですが。
デジタルデータは長期保存には不向きなのではと思います。また、時間をつくってLPレコードを聴こうかな。
30年前のコダクローム(スライドフイルム)綺麗です。眺めるだけで何が写っているのかわかります。

2004年1月16日
本日の日経、社説「窓を閉ざす防衛庁は困る」を読んで
内容は、防衛庁が陸海空の最高幹部である幕僚長の定例記者会見を廃止するというものです。
普通でも「秘密主義」に陥りやすい日本ですね。その中で、官僚はその傾向が強いですね。旧の帝国陸軍や海軍も秘密主義は酷かったですね。その結果は国民のみならず、その機構自体も秘密主義の犠牲になっていたと思います。
一時的には「機密扱い」もあると思いますが、欧米みたいに規則で公表時期を指定したり、あるいは積極的に記者会見をしているのを見習ってほしいですね。機密扱いの期間もできる限り短くしてね。
日本の外交交渉に関る機密文書がアメリカなどで公表されていますね。公表するというのは、国民全体で考えてみようということです。そして、「誤り」があれば同じ失敗をしないようにするためにはどのようにしたらよいかを考える材料にするわけですね。
また、当時は価値がないと思われていた事項でも後で重大な意味のあった事項かもわかりますね。兎に角、公開が原則であるということどの省庁も忘れないでほしいですね。

2004年1月15日
もうすぐ「センター試験」
もうすぐセンター試験ですね。入試問題の中では、良質な問題だと思います。ただ、選択肢がありますので勉強の質が落ちると思います。
人間が「学ぶ」というは、ものごとを知り、または理解したなら、自分の言葉で表現できるはずであり、行動に変化が現れるはずです。言葉で表現できない、行動に変化が現れないというのは、単に「文字列」を丸暗記しているのと同じではないでしょうか。
「文武両道」という言葉、「知行一致」という言葉は、養老孟氏の書物によりますと「文」は書物等で学習することで「武」はその結果が行動に現れることだという風に書かれていました。
択一式は、この「行動」に相当する部分が欠けることになるのでは。
ですから、センター試験の得点の扱いは「京都大学理学部」のような扱いに留めてほしいです。
何日か前も書いていますが、これからもシツコク書くつもりです。

2004年1月14日
本日の日経、社会面の「大卒就職内定率最悪73.5%」を読んで
読んでみますと、理由として「厳選して採用しており、希望に沿う人がいなければ無理に採らない傾向が強まっている」と厚生労働省は説明しているそうです。また、「即戦力を求め、中途採用に流れてる面もある」という。
なら、どうして企業は3年次の終わり頃から求人活動をするのかな。大学教育を無視しているからこのようなことができるのですね。さらに、どのような人材を新卒に求めるかということも、中途採用相手より曖昧なのでしょうか。
それでも、内定率が低いというのは求職者側にも?かな。
そのうち、日本もアメリカみたいに履歴書から学歴欄などが削除されるという話も聞きました。何時になるかはわかりませんが、いいことだと思います。ただ、今みたいに先輩訪問とかを大々的にしていたらバレバレですけどね。
特に今の日本の教育では、特定の職種というか分野や認定された学科以外は学歴と仕事をする能力の関係が曖昧な学生がやたらと多いような気がします。
だから、学歴なんて書かなくても良いと思うのですが。
そのうち、職歴も書けなくなるのかな。採用側の能力が見透かされるようになってきますね。

2004年1月13日
昨日に続き「教育」に関すること
昨日、最後に「センター試験やマーク式や択一式、穴埋め式などの入試の得点は、京都大学の理学部のような足切り(ある一定の得点以上あるかどうかだけで見ています)にのみ利用してほしいです。」と書きましたね。
まだ、センター試験は読解力の必要な問題が多くなってきているように感じます。また、選択肢も長文が増加しているようですね。それでも、択一式であるということで表現力をいうか考えてその結果を自分の言葉で他の人に伝えるということが出来ませんね。出題者の用意した言葉から選ぶということに本来の試験の大事な部分、表現するが抜けていることになります。
このことは、記述でも穴埋めや簡単な説明文を書かせる程度ではあまり変わりはないと思います。
極端な話をすると、現実に問題と教科書や参考書を見比べてもどこが出題されているのかわからないのも出てきているわけですね。大学に進学希望の者で教科書すら自分で読めないというようなのも。だから、教師(予備校等を含む)が「これが出る」といった問題の答を丸暗記しようとする者が現実に少なからずいます。
教科書や参考書等の資料から問題の答が探せないのです。これでは、何のために高校などの学校に通っているのか疑問になります。答を丸暗記するから「忘れる」、「面白くない」などの現象が起こるわけです。
テストの方法を再検討してください。特に大学入試では、「センター試験やマーク式や択一式、穴埋め式などの入試の得点は、京都大学の理学部のような足切り(ある一定の得点以上あるかどうかだけで見ています)にのみ利用してほしいです。」です。

2004年1月12日
本日の日経、社説「深刻化する若年者の雇用不安」を読んで
今日が「元服・・・成人の日」だからこの社説がでたのかな。
雇用の減少の理由ですが、大きいのは工場の海外流出に対して何ら対策を打たない行政の責任が大きいと思います。欧米では、雇用の創出のため工場誘致に補助金や税制の優遇等の制度も整えていますね。
それに引きかえ日本は税収の落ち込みのみにとらわれて、工場の海外流出を促進し工場の法人税はもとより個人の所得税や形骸活動に伴う消費税まで減収にしているのでは。さらに生活保護費等は余計必要になるようになってきている。治安の悪化で警察官も増員ですね。経費ばかりかさむ。なにを考えているのかな。
それといまの若者の鍛え方(教育)にも問題があると思います。なんですか、暗記力だけでよいようなテストや入試。絶対評価といいながら実質的には相対評価のまま。学習でも達成感がなかなかできない。
学校等で、禁止事項が多すぎる。それより学力レベルを一定水準以上に保つ方策を考えたら良いと思います。
企業の関りとかいろいろ問題はあると思いますが、若年者が真面な経験を積める機会を造る必要があると思います。
センター試験やマーク式や択一式、穴埋め式などの入試の得点は、京都大学の理学部のような足切り(ある一定の得点以上あるかどうかだけで見ています)にのみ利用してほしいです。

2004年1月11日
本日の日経、一面の連載「電縁の時代 10」を読んで
見出しの大きいほうが『「周回遅れ」が先頭走者」とあり、もう一つが「データが見守る畑・漁場・工場。地方に活力が戻る」とあります。
IT技術をうまく活用しているのですね。畑のほうは、水やり・肥料・農薬の散布等の時期の指示や回数の管理にですね。余計な肥料・農薬の散布を防ぐのに利用しています。そのためには過去のデータの解析、現在の状況との照合、判断が必要になるわけですね。じゃがいもの例ではオランダの会社に判断は委託しています。自前で出来るようになるといいと思います。
漁場のほうは海水温等の情報から魚の位置等の情報などです。また、漁獲から市場までの温度管理等の品質保証でも価値を高めています。
工場のほうはネット等の活用や操業の時間の融通によって長野県でも十分に成り立っている例が紹介されています。
要は、頭をうまく使って行けば未来は開けるということかな。ただ、今の日本では、御上の規制がこれらの動きも足手まといにならないか心配です。いまある地場産業を発展させる方策を考え、お金を使うほうがよいかな。ただ、ミカンなどのように気がつけば「どこでもミカン」というよな二の舞だけは避けたいですね。

2004年1月10日
本日の日経、教育面の「数字は語る」の「読書少ないと成績悪い?」を読んで
全国学習塾協会が塾に通う中学生約2800人に聞いた調査だそうです。
1ヶ月に7冊以上の本(教科書・マンガを除く)を読む生徒は7%にすぎず、38%がほとんど読まないと回答したそうです。
成績との関係では上位層と下位層によく本を読む生徒がおり中間が・・・ということのようです。
よく読まれる本は、上位層も下位層も同じなのでしょうか。本の内容によってはマンガと変わらないのもあるようです。
また、中間層ですね。文字のみの本を読まないという生徒の割合が大きいわけですがどうしてでしょうか。
読書は「読解力」をつける基礎的な練習になると思います。
今の入試で読解力を必要としている大学は、俗に「難しい」といわれているところが多いですね。
また、このような大学は、一般入試でも「論述」的な解答をさせていますね。
まあ、単純な暗記力を調べるような問題は止めてほしいですね。

2004年1月9日
昨日の日経、経済2のところにあった「新卒者採用前倒し進む」というのを読んで
卒業学年に達しないうちから採用活動を始める企業が増加しているとのことです。
何を考えているのかな。大学側は、採用内定があろうが無かろうが大学の基準に達した学生のみを卒業させてください。
企業も4年にならないうちに採用活動を開始し早期に内定するなら、卒業をまたずに内定決定の時点から正規の社員として勤務させてください。履歴書から学歴欄などを無くしてもいいのでは。残しているというのいまだにレッテルで採用を決めているのかな。
日本の教育を潰さないでください。大学で一番大事なのは卒業研究では。それもしないうちに採用内定というのは、大学を企業がバカにしている現れでは。
ろくに卒業論文も書けない者を卒業させるような大学はないと思うのですが。

2004年1月8日
H2Aロケットの失敗の原因についてのニュースより
日本的体質がでましたね。補助ロケットの設計変更により以前のものより内部の圧力が2倍になるとのこと。
さらに燃焼試験で側壁に穴が空きかけていたそうですね。そこで分厚くしても側壁が削られ方が大きいので実際に打ち上げたとき、回収して調べるように報告書にもあったそうですね。
やばい部分についてはうまくいっても検証してみる必要があるということですね。それを宇宙航空研究開発機構(JAXA)はしていなかったということです。
「終わりよければ全て良し」みたいな意識があったのでは。この疑問点は相当深刻だったから報告書にも記載されているわけですね。調べておけば今回の失敗は防げたかも。
表面的な成功?で慢心してしまうのが多いような気がします。ものごとの本質を見抜くことのできる教育が必要になりますね。今のマークシート式のテストでは限界があり過ぎます。
もっともっと論述させ、さらに多くの人々を説得できるような能力も身につけさせる必要があると思います。

2004年1月7日
日経企業1の連載「2004年壁に挑む 2 意欲生む成果主義」を読んで
見出しに『「魂入れる評価基準」探る』とあります。成果主義の成否は「評価基準」にあるわけですね。相対評価になれ親しんだ日本人にとって苦手な「絶対評価」というのが必要になると思います。
その時、どのような業績をどの基準に照らしてどう評価するのか。さらに「目標達成」に対して見ようとすると、「目標」を低めに設定する社員が増加するそうですね。高めに設定した場合、到達率が低くなる可能性が高く不利になると消極的になるわけですね。
これらの問題に対して完全な解答などあろうはずはないのです。評価とは常に完璧なものなのないのです。
まずは学校の勉強では到達度、(企業においては業績の大きさかな、目標達成度ではありません)で見る絶対評価になれ親しむことがこれらの問題の解決の一つになるかもしれません。相対評価では「皆でサボれば恐くない」が起これば自滅ですからね。

2004年1月6日
日経の社説「にっぽん再起動」を読んで
今日のテーマは「子孫に誇れる美しい国土をつくろう」でした。
「日本もかつては美しい風景を誇る国だった。」とあります。ヨーロッパを旅行すると家々が自然と調和していますね。かつての日本もそうだったのです。町並みも調和していました。
今は、無粋な建築物や構造物で台なしですね。
かつて、あるところで聞いたのですが、どこかの原発立地の地方公共団体で学校を新築した。鉄筋コンクリートであると自慢しているわけです。小学校でしたか小規模校ですよ。木造のほうが児童の教育には良いと思うのですが、都会には「負けたくない」らしいのです。
何を持って負けなのかな。自然と調和した建築物のほうが、また、その地域にあった作り方のほうがよほど価値があると思うのですがね。
絵になるような町づくりはお金がかかりますね。そこで、余計な公共工事からお金を回せばよい訳です。でも、縄張りの村意識が予算配分で障害になりますね。
アメリカでも古い建造物をうまく使って良い感じをもたせているそうです。日本ぐらいですよ。無秩序に野放図に建築や土木による構造物を作って景観を台なしにしているのは。

2004年1月5日
歴史教育について今一度考えましょう。
歴史教育の目的は何なのですか。年代と事件名と関係した人名とその概略を覚えることだけで良いのでしょうか。
高校ともなればもっといろいろな解釈を論じ合ってもよいのでは。歴史を一つの価値観だけで見る危険性を理解させれば目的の一つは達成できたことになるのでは。
ドイツの1985年のときの大統領の演説「荒野の40年」で「過去に対して眼をそらす者は未来に対しても盲目になる」というような意味の件がありました。
これは、過去の都合の悪い部分を隠したりして検証反省しない者は再び同じような失敗を繰り返すという意味ですね。
日本は現実に同じようなパターンの失敗を繰り返してきています。例を上げると「バブル期の土地投機」ですが、誰かが煽ったわけでもないのに国中熱病に取り憑かれました。あとは見てのとおりです。
第二次世界大戦のとき、日本にはヒトラーみたいなのはいません。東条英機は偶々首相になっただけです。軍部は熱病に取り憑かれはように戦争に突き進んでいきましたね。どこが違うのでしょうか。
指導者がいないのに暴走するという点は同じかなと思います。
だから、歴史教育は国を潰さないようにするために方法等を考え直してください。

2004年1月4日
日経一面の連載「電縁の時代 3」で北海道西興部村の話を読んで
全国有数のIT村だそうですね。この村では、「過剰な公共工事は退けてITに集中し、健全財政を保つ」ということだそうです。
過剰な公共事業はその時の一時的な雇用が生まれたとしてもそれが終われば終わりですからね。それより、そこに存在する産業(この場合主に酪農)や生活で利用できるITを有効利用できるようの整備したとのことです。
酪農などの生産性も上がり、過疎にもかかわらず高齢者の健康維持等にも役に立っているということです。
これは、地域によって行政のするべき役割が違うということを理解しているから出来ることでしょうね。
西興部村には空港も高速道路も鉄道もないところですね。頭を使えば良いという例ですね。
隣に空港が出来たからとか、高速道路が無いからとか造れとかいっているところももう一度本当に必要な行政施策とはなにか考えて見てほしいですね。また、すでに高速道路や新幹線のあるところの人は、「都会だけで日本は成り立っていない」よいうことを理解してほしいですね。

2004年1月3日
日経経済面にありました「冬休みセミナー数字で見るニッポン4」で想定出生率です
昨日も書きましたが本日年金改革のとき使用した想定した出生率と現実のデータがでていました。
過去2回の年金改革のときの想定出生率を現実はどちらも下まわっています。他の公共事業と同様に非常に甘い予測の下で改革を議論していることがありありですね。
1994年のとき1.80の予測で実績(97年)は1.39です。1999年のときは1.61に対して実績(02年)は1.32です。すごい外れを繰り返していますね。
こんなのが年金以外でも繰り返されているのが日本の行政ですと言いたくなります。公共事業による景気浮揚は現在の経済規模ではほとんどないと思います。それより個人消費を増やすほうが雇用を増やすほうが公共事業より役に立つと思います。
そしてその中でも子育て支援にお金をつぎ込むべきです。親への育児手当を大幅に増額し、子育てをしやすい制度をつくり有効に運用している雇用主には助成を。子育ての足を引っ張るような雇用主には罰則を。

2004年1月2日
昨年の人口動態について
昨日付の新聞によりますと出生数は統計を取り始めて最低の112万人を記録しそうだということです。
母親の主力候補の30才ぐらいの年代は第二次ベビーブームの200万人を越える人数がいます。それでこれですので年金の予測をするのに使用した特殊出生率より低くなっているものと思われます。
死亡数が増加していくのは高齢者の数が増加しているため致し方ないと思いますが、出生数がここまで低下したまま推移すると日本のいろいろな計画というの狂ってくるのでは。高速道路を作っても利用者は減少ですね。空港の拡張も不要になったりとか、水資源開発のほうはすでに人口動態の影響が出てきはじめていますね。過大需要見通しという毎度のこともありますが。
今の日本の風潮では人口の大都市集中が進んでいますね。過疎の進んでいる地域での人口減に歯止めすらかけられない状態になってきているのでは。
公共事業より「子育て支援」にお金を投入するべきだと思います。立派な公共施設を作っても利用者がいなければ「無駄」そのものですからね。
子育てしている親やその親を支援している企業には手厚い支援を。子育ての足を引っ張るような雇用主には罰則を。
移民をいれる気がないのなら「徹底した子育て支援」をしてほしいですね。国民がいなくなって国が残るのですか。

2004年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年ほぼ一年間続けてきました「諸々の言いたいこと」をシツコク今年も続けたいと思います。ストレス発散にももってこいですので。
早速、元旦早々に話題を提供してくれましたね。小泉首相の靖国神社参拝。
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」の中の一つに「自己解剖」についての話がありました。自己のよくないところを第3者に洗い出して貰って検証することですね。日本はこれができていない。というかできない。
だから、表面的には謝罪をする。でも、謝罪するばかりで反省をしていない。歴史を鏡として教訓に学び、悪い点を直す行動が伴っていない(考え方ですね)から関係各国でがたがた問題が提起されてくるのですよ。
関係諸国は日本の第二次世界大戦への反省を上辺だけとしか見ていないのでは。本心から反省していると見てくれていたら天皇陛下が靖国神社に行かれてもなにも言わないのではと思います。
どうして昭和天皇に死を覚悟させるような戦争をしてしまったのか。どうして自滅に進むような戦争の泥沼にはまっていったのか。嵌められたという人もいますが、では、「なぜ、簡単にのってしまったのか」などについて、まじめに国会で議論したことはないでしょう。この真面目に反省するということによる一番の受益者は日本人であるのですがね。